小出播磨守秀政の出生の地と云われる。 小出氏は藤原南家二階堂氏の支流で信濃国伊那郡小井で(氏の下に一)郷に住み小出氏を称したことに始まるとされる。祐重の代に尾張国愛知郡中村へ移住し、正重、秀政と続いている。
小出秀政は秀吉の母大政所の妹を正室に迎えており、早くより秀吉に仕え天正13年には和泉国岸和田三万石の城主となり、後に但馬国出石五万石の城主となった。 関ヶ原合戦では秀政と嫡男吉政は西軍に属し、二男秀家が東軍に属した。合戦後、秀家の戦功によって秀政・吉政父子の本領が安堵された。
小出屋敷は中村公園の一画に「小出秀政邸址」の石碑と案内板が建っている。中村公園の東側にある常泉寺・妙行寺の西側の道路沿いに石碑がある。