天文13年(1544年)前田利昌によって築かれたと云われる。 前田利昌は江戸時代に加賀百万石の大名となった前田利家の父で、荒子城を築いて前田城から移ってきたという。このため、荒子城が前田利家の誕生之地とされ石碑が建てられているが、前田城とする説もある。
前田利家は利昌の四男であったことから利昌の家督は嫡男利久へと受け継がれたが、利久が病弱であったことや利家が織田信長に寵愛されていたことなどから、利久から利家へと家督が譲られた。天正3年(1575年)には越前国府中城主となり荒子城は廃城となった。
荒子城は天満天神宮の辺りに築かれていたが現在は宅地となって遺構はない。神社の所に荒子城の案内板や前田利家誕生の碑が建っている。