築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に塙右近(ばん)によって築かれたと云われる。
塙右近の子が信長に仕えて原田備中守直政と称した塙直政である。直政は天正4年(1576年年)石山本願寺攻めを命ぜられ、荒木村重、長岡藤孝(細川)、明智光秀とともに本願寺攻めの主力として参加している。三好康長を先鋒として三津寺を攻撃したが、本願寺方の反撃にあい、原田直政も混乱のなか討死した。この戦いで塙小七郎(直政弟か)、塙安弘(直政叔父か)も討死している。
大野木城は現在の福昌寺一帯に築かれていたという。 遺構はないが、墓地には福昌寺開祖塙宗悦、塙団右衛門生母の墓が残っている。