築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)頃に橋本伊賀守によって築かれたと云われる。
南北朝時代には南朝方として戦い、その後橋本氏は片原一色城を中心として三宅城・井堀城・矢合城を持ち八代続いたという。橋本一巴(道求)は織田信長に仕えた鉄砲の師匠で、永禄元年(1558年)浮野合戦で林弥七郎を倒している。その子橋本伊賀守道一は織田信雄に仕えたが、信雄の改易後に秀吉に仕え慶長元年(1596年)肥前国名護屋で没した。
片原一色城は神明社一帯に築かれていたという。整地されて遺構はなく、神明社の東側を南北に走るサイクリングコース沿い(南の橋の方)に石碑が建っているのみである。