美濃 石河邸みの いしこてい
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寛文10年(1670年)石川正光によって築かれた。
石川氏は播磨国龍野城主であった石川光元の子孫で、関ヶ原合戦で西軍に属し改易となったものの、石川光忠が尾張徳川家に付けられ一万石を領した。その子が正光で分知によって七千石を領したが、寛文9年(1669年)駒塚の地を在所とすることを命ぜられ石河邸を築いたという。
石河邸は伝法寺の南側一帯に築かれていた。現在は住宅地などとなっているが、石碑や標柱が建っている。