築城年代は諸説あり定かではないが、応仁年間に竹腰尚隆によって築かれたと云われる。
文明年間頃には長井利隆が城主となったが、明応6年(1497年)加納城へと移った。
長井氏の後は不破広綱が入城し城を改修するとともに城下町の形成を行ったが、小牧・長久手の合戦で落城した。
最後の城主は杉浦重勝で一万石を領したが関ヶ原合戦で岐阜城の織田秀信に呼応したため、東軍の攻撃にあい自刃して落城した。
江戸時代には既に開墾され、現在は市街地に埋もれ遺構は残っていない。城跡の位置も転々としたようであるが、現在は羽島市歴史民族資料館前に石碑と案内板が設置されている。