美濃 福束城みの ふくづかじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の頃は二万石を領した丸毛兼利の居城であった。兼利は西軍に味方したため、東軍に属した松の木城主徳永寿昌や今尾城主市橋長勝らに攻められ福束城は落城し兼利は大垣城へ逃れた。戦後は前田利常に仕えたという。
福束城は福満寺の北側一帯に築かれていたという。現在は河川改修によって遺構は消滅している。
福満寺の境内に福束城の案内板が設置されている。この福満寺には福束城の石垣などが描かれた版木が伝わっている。