築城年代は定かではない。正暦年間(990年〜995年)瀬戸道明寺が城を築いたのが始まりとも云われる。
永正年間(1504年〜1521年)高木貞成が美濃守護土岐氏に従って城を築いた。高木氏はその後、貞政、貞次と続き斎藤道三に従っていたが、高木貞久のとき、尾張の織田信長の西美濃攻略によって織田氏に従った。
高木氏は織田信長に従って各地を転戦、信長が没すると織田信雄に従う。天正12年(1584年)小牧長久手の合戦では徳川家康・織田信雄軍となる。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では西軍の東海道軍の大軍によって西軍に荷担したが、一族の高木貞利、貞友が東軍に属していたため無血開城となり、戦後は多羅へ転封となった。
駒野城は標高30m程の船岡山に築かれていた。現在その大半が城山小学校の敷地となっている。
南の正門を入った先に案内板がある。本丸は校舎の北側にあり、高土塁巡って虎口を開いている。