築城年代は定かではない。元亀4年(1573年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣していたという。
天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たした。
田上山砦は標高323mの田上山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭を中心に北、南西、南東の三方の尾根に曲輪を展開する。全体的に土塁囲みの曲輪で虎口も明確である。
主郭I1は南を除く三方に土塁があり、北と西の二ヶ所に虎口を開く。どちらも平入に近いが、虎口2は土橋正面が土塁になり、左側に少し回り込んで入るようになっている。
北尾根の曲輪IIは主郭I1と土橋で繋がり、北に虎口4を開く。虎口4は横堀4に土橋をかけて正面にかざし土塁を備えた構造で馬出になっている。
曲輪IIから北へ進んで行くと北端に土塁で構築された虎口6がある。虎口6は内側は食い違いで外側にかざし土塁がある構造で外枡形状の虎口である。西側の土塁は北へ張り出して横矢が架る。土塁の外側はやや凹んでいるような部分もあるが明確な堀は確認できない。曲輪IIからこの北端土塁の間は緩斜面が続いており、兵士の駐屯スペースにもなっている。
主郭I1から南西に伸びる尾根は曲輪I2から堀切3を経て曲輪IIIに至る。曲輪IIIは土塁囲みで南端に虎口5を開く。虎口5の脇にはコの字に屈曲された土塁になっており、外側の堀切5もこれに沿って曲がっている。ここから少し離れた場所には尾根を遮断する堀切6がある。
主郭I1の南東下には土塁囲みの曲輪I3があり、西側に虎口3を開く。曲輪I3は南隅が内折れしている。I1、I3の南側面には現在の登山道にもなっている犬走りがあり、この屈曲部分は枡形状の空間Aになる。外側にある横堀2はこの通路を遮断するように南へは伸びていない。さらに南東へ降って行くと南端の堀切1がある。
木之本駅から東へ登っていくと意冨布良神社があり、境内から登山道がある。
またその奥にある伊香高校の手前の川沿いに林道入口があり、未舗装林道を上がると中腹に駐車スペースがある。道幅は十分だが排水路の凹凸があるので、車高の低い車はどこかに駐車して歩くのが良いだろう。
最寄り駅(直線距離)