慶長13年(1606年)萩藩毛利氏が長門石見国境となるこの地に口屋番所を設けたのが始まりであった。
口屋番所は藤井家が4代務めたが、貞享3年(1686年)口屋番所から御番所に改められ、萩藩から役人が赴任して務めるようになり、明治まで続いた。
野坂御番所は長門石見国境近く、野坂山の南東麓に築かれていた。国道9号線沿いにある野坂堤の向かいに案内板が設置されている。
番所としては珍しく、山の斜面に長さ約50mの竪堀遺構が現存している。西側が果樹園となっているので、細部は不明だが、竪堀は概ね山口側が高くなっている。
国道9号線沿いにある広いパーキングの脇に案内板がある。
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