詳細不明。
江戸時代の津和野城主亀井氏の時代には高崎亀井家の屋敷が西麓にあった。 高崎亀井家は亀井茲矩の甥を祖とする家で、はじめは多胡氏を称していたが、矩致のときに亀井姓に改め、享保5年(1720年)にこの高崎邸に移ったという。
丸山城は東の山塊から西へ張り出した尾根の先端にある丘陵に築かれている。 現在山上は丸山公園となり観音像が建っているが、平坦面があるのみである。
東側は背後に道路が付いているが、ここが堀切であった可能性はある。 南側には高崎邸時代のものと思われる石垣の食い違い虎口が残っている。また、西麓一帯は宅地や公園となっているが古い石垣造りの段が無数にあり、高崎亀井氏の屋敷跡という。