築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)に吉見氏によって築かれたと云われる。
三本松城主吉見氏の支城で、斎藤助五郎が城主を務めた。天文23年(1554年)には周防の陶晴賢が津和野城吉見氏を討つため各方面から侵攻、周防山代からは江良弾正、端土太郎らの軍勢が侵攻し、指月城、能美山城を抜いて抜舞から長崎道を使って三之瀬城に攻め寄せた。
文禄の役のときの城主は斎藤市郎左衛門で、吉見氏に従って渡海している。
三之瀬城は蛇行して流れる福川川に突き出した半島状の丘陵に築かれている。
南背後の尾根に二条の堀切を設けて遮断し、北側を城域しており、南北二段、西下一段の三段の曲輪がある。
主郭背後の堀切は土橋状の仕切り土塁があり、西側に伸びていて二重堀状になっている。
県道沿いに小さな案内板がある。そこから橋を渡って道標に従って進むと一軒の民家が現れる。その少し手前の広くなっている所に駐車させてもらった。そこから少し手前の古屋の脇のあぜ道を下ると川にかかった鉄橋があるので、そこから山に進む。
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