築城年代は定かではない。城主は鳥井伊豆守で津和野の吉見氏の家臣であった。
鳥井伊豆守は抜舞から三之瀬城に続く長崎道の長崎新道を開通させた人物とされ、また天文23年(1554年)に陶晴賢の軍勢が津和野に侵攻したさいには、安芸の毛利氏に援軍を求めに行った。
抜舞城は三之瀬城と六日市を結ぶ長崎道の入口に位置し、高津川に沿った標高358mの山に築かれている。また北下の鞍部も古い道であったという。
主郭は山頂にあり、あまり削平状態は良くないが、若干小さな段を築いている。高さ6、7mほどの切岸を設け、それによって作られた緩斜面地形に畝状竪堀群2を設けている。南尾根は堀切1、東尾根は堀切3でそれぞれ遮断する。
堀切3の東側に小さな曲輪iiがある。ここから東へ尾根が伸びているが堀切などは設けていない。
南麓にある集落の民家の裏に墓地があり、その辺りから北の鞍部のほうに続く谷間を登るルートを教えていただいた。特に山上に登る道はなく急峻であるが、一度鞍部のほうに登ったほうが楽に登れるだろう。