築城年代は定かではないが弘和年間(1381年〜1384年)に安倍氏によって築かれたと云われる。
藤崎城主安東氏庶流の安倍氏が築いたとされ、文安2年(1445年)津軽に侵攻した南部光政は藤崎城・大光寺城・堀越城などの諸城を攻略し和徳城にも攻め寄せた。 城主安倍伊予守もよく防いだが小山内讃岐守の内通によって落城した。
その後、小山内氏が南部氏の家臣として城主となったが、元亀2年(1571年)大浦城主大浦為信が挙兵し、わずか一日で石川城と和徳城を攻め落とし、和徳城には家臣森岡金吾信元を置いた。
和徳城の位置については断定されていない。現在の和徳神社一帯、あるいは坂の上・坂の下といわれる地区と考えられている。