築城年代は定かではないが寛治6年(1092年)頃に安倍堯恒によって築かれたと云われる。 康平5年(1062年)前九年の役で源頼義に討たれた安倍貞任の子高星丸は津軽に逃れ、後に成人して安倍十郎貞義と名乗った。この貞義の子が堯恒である。
この安倍氏の子孫が安東氏を名乗り、中世には津軽や秋田など日本海側に勢力が拡がり、戦国時代末期から江戸時代の秋田氏へと続いていく。
藤崎城は国道7号線付近にある八幡宮辺りを南東端として、国道339号線沿いに北西に広がっていた。
市街地によって遺構はほとんど残っていないが、八幡宮の裏に土塁と空堀があり、北西に200m程伸びている。この土塁南端に標柱がある。