築城年代は定かではない。永禄8年(1565年)頃から天正12年(1584年)頃まで伊達氏と相馬氏が争っており、その過程で築かれた陣城である。詳しいことはわかっていないが、はじめ相馬方が築き、後に伊達氏が奪い取って拠点としたとも云われる。
冥護山館は伊手集落の北にある比高50m程の丘陵に築かれており、谷を挟んで西山館と隣接する。現在は史跡として整備されている。
冥護山墓地の北側に隣接して南北に伸びる丘陵に築かれており、北端の主郭Iから南に向かって曲輪II、IIIと連なる。
主郭Iは南北に虎口があり、南虎口1は堀切6に架かる土橋状のスロープを経て入る構造で、虎口の外側に若干の空間があり、西側の土塁は櫓台ほどではないがやや広い。現状の登山道は西の横堀5から堀切6に上がって主郭に登るコースが整備されてい。北虎口2は曲輪IVから虎口5を経て北尾根に下るが、東側へ迂回して入る構造になっている。
曲輪IIは南端に土塁を狭めた虎口3があり、そのまま南端の曲輪IIIに続く。曲輪IIIは土塁囲みで幅が狭く南端の広くなっている部分以外は一列で進むくらいのスペースしかない。
曲輪IIIの南端から西に出る虎口4は西外側に土塁囲みの小空間があり外枡形状で、南、西、南と何度も折れ曲がっている。
主郭部の南西側には横堀が多重に設けられており、現在は横堀5を歩いて主郭に入るように登山道が設定されている。この横堀5から竪堀状地形を下ると小規模に曲輪群VIがある。さらに西の谷筋に至る枡形状の虎口6が西山腹に設けられている。
主郭部の北尾根は東西方向に尾根が伸びているが、この東へ続く尾根にも城郭遺構がある。作業林道による破壊もあるが曲輪の造成も甘かったようで、輪郭ははっきりしないが、東端の堀切12に面してL字の土塁が残る曲輪Vがある。
南側に冥護山墓地があり駐車可能。ここに案内板が設置されている。
最寄り駅(直線距離)