築城年代は定かではない。永禄8年(1565年)頃から天正12年(1584年)頃まで伊達氏と相馬氏が争っており、その過程で築かれた陣城である。詳しいことはわかっていないが、はじめ相馬方が築き、後に伊達氏が奪い取って拠点としたとも云われる。
冥護山館は伊手集落の北にある比高50m程の丘陵に築かれており、谷を挟んで西山館と隣接する。現在は史跡として整備されている。
冥護山館は南北に伸びた丘陵に築かれており、南に大手がある。南端から東に掛けて多重の横堀が巡らされており、その一角から南端の曲輪へ続く多重に折れた虎口がある。南端の曲輪は低土塁が巡らされている。
主郭は北にあって南北に長く、南の曲輪との間は堀切で土橋が架かる。主郭も土塁が巡り、北虎口は折れを伴う。
主郭の北から東へ伸びた尾根も曲輪のようで、東端に空堀と虎口と思われる土塁が残っている。
城の南側に墓地があり駐車可能。ここに案内板が設置されている。
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