築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に相馬氏の家臣井戸川将監によって築かれたと云われる。
丸森・金山・小斎一帯は相馬氏と伊達氏による争いが行われ、永禄9年(1566年)相馬氏がこの辺り一帯を支配し、家臣井戸川将監が金山城を築いて籠もった。
天正年間(1573年〜1592年)に入って伊達氏と相馬氏によって争われたが、天正12年(1584年)に金山城は伊達氏の支配する所となった。この戦いに戦功のあった保原城主中島宗求が、金山・大内・伊手に二千石を与えられ金山城主となった。中島氏は伊達氏家臣として江戸時代を通じてこの地を支配し、一国一城令の後も金山要害として維持された。
金山城は雉子尾川に沿って北西へ伸びた丘陵の頂部に築かれており、現在はお館山公園として整備されている。
金山城は山頂にある本丸に居館があったようで、本丸の東側測面には高石垣が残されている。南側は空堀があり二ノ丸辰巳櫓門跡や馬場跡があるようだが、この辺りは鬱蒼と茂っており確認するのは難しい。
登山道を登り始めるとすぐに三ノ丸大手埋門跡があり、土塁や硝煙蔵、不動堂を経て登っていく。出丸との間に堀切があり、陸橋跡とあるのは木橋が架かっていたのであろう。 そこを登ると本丸に至る。
国道113号線、金山小学校の東側付近に金山城への道標が出ている。それに従って登っていくと登山口があり、その手前に駐車できる。
最寄り駅(直線距離)