築城年代は定かではないが天正12年(1584年)から天正15年(1587年)頃に北条氏照によって築かれた。 氏照は滝山城から八王子城に居城を移したが、城はまだ未完成であったといわれ、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐軍が来襲するまで普請されていたものといわれる。
天正18年(1590年)6月23日前田利家・上杉景勝を中心とした豊臣秀吉の小田原征伐軍から来襲し、北条氏照は小田原城に入城していたため、家老横地吉信を守将として対応したが、わずか一日で落城した。
現在、国指定史跡として保存整備されている。
「御主殿」と呼ばれる館跡は曳橋や冠木門があり、石垣も復元されている。この下を流れる川に「御主殿の滝」と呼ばれる小さな滝があり、落城時に北条方の諸将や婦女子が自刃して滝に身を投げ、三日三晩赤く染まったと伝えられている。
管理棟から登りはじめると「アシダ曲輪」から馬蹄形の小曲輪が段々と続き、金子家重が守備していたとされる「金子丸」へとたどり着く。「金子丸」から「門柵跡」、「高丸」と登って行くと、八王子神社、さらにもうひと登りすると本丸へ着くが、本丸は猫の額程の広さしかない。
松木曲輪から「高尾山・陣馬山」方面へ歩いて行くと、井戸があり乾いた喉を潤すことができる。更に無名曲輪を経て西にある大天守(詰の城)へ向かう。途中細尾根伝いに小郭がちらほら、いよいよ天守台という所には竪堀があり、石積が残っている。 ここから天守台へ行く坂には左側に小石が積み上げられている。
大天守(詰の城)は石垣で覆われ、西へ続く尾根は巨大な堀切で遮断されており圧巻である。
何せ巨大な山城ということで、一度行っただけでは歩き尽くすことは難しい。御主殿から山王台へ向かう尾根に残る石積遺構も見てみたかったが、また機会があれば訪れたい。