築城年代は定かではない。この辺りは南一揆と呼ばれた国衆がおり、その一員である小宮氏の城と考えられている。
小宮氏は「長享の乱」では扇谷上杉方として戦っていたが、文亀年間(1501年〜1504年)頃にはこの辺りは山内上杉氏の勢力下となっており、小宮氏もまた山内上杉氏に従っていたと推測される。
小田原北条氏が勢力を伸ばしてきた頃には小宮顕宗、綱明、康明といった人物がおり北条氏に従っていたが、天文年間(1532年〜1555年)には没落したという。
戸倉城は秋川と盆堀川との間に聳える標高434.1mの城山に築かれている。現在は麓から登山道が整備され展望台になっている。
主郭は東峰山頂で西に向かって小さな段曲輪があり、その下方に広い曲輪がある。西峰にも曲輪があり、北側に竪堀が一条、北西尾根には横堀状の堀切が残っている。
東峰と西峰の中央から北へ伸びた尾根は山腹まで自然地形であるが、先端部に曲輪がある。
北東麓に神明社、八雲神社があり、ここから登山道が山頂まで続いている(地図)。
最寄り駅(直線距離)