文明8年(1476年)長尾景春によって築かれたと云われる。 長尾景春は上野国白井城主であったが、山内上杉顕定に叛いて鉢形城に籠った。しかし、文明10年(1478年)山内上杉氏は太田道灌の助けを借りて景春を鉢形城より敗走させた。
その後、藤田氏の城となっていたが、関東に勢力を伸ばす小田原北条氏の三男氏邦を養子とする。氏邦は藤田氏の居城天神山城に入り、康邦は用土城へ隠棲して用土氏を名乗った。
永禄年間(1558年~1570年)頃に藤田氏邦は鉢形城へ居城を移したが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原北条氏攻めで、本多忠勝・前田利家・上杉景勝・真田昌幸を中心とした豊臣軍に攻められ6月14日に落城した。その後、氏邦は前田利家にお預けとなり、慶長2年(1597年)金沢にて死去した。
鉢形城は荒川と深沢川との間にある台地に築かれた要害で、現在は鉢形城公園として国指定史跡となっている。
主郭は荒川に面した断崖の上にあり、北に笹曲輪、東下に伝御殿曲輪、南に二の曲輪、三の曲輪、伝逸見曲輪、伝大光寺曲輪などの曲輪群があり、城域は近世城郭並に巨大である。
三の曲輪や二の曲輪一帯が特に整備され、復元門や建物、石塁土塁や柵などが建てられている。また南の伝逸見曲輪一帯も発掘調査が進められているようで、曲輪の側面には石積も露出している。
鉢形城歴史館の東側には南北に拡がる外曲輪があり、土塁や堀がある。
門(模擬 城門)
三の丸付近にも駐車場があるが、鉢形城歴史館に車を置いて歴史館を見学した後に歩いて一周するのが良いだろう。
最寄り駅(直線距離)