築城年代は定かではない。建武4年(1337年)南朝方勢力が籠もる小島城を北朝方が攻めていることが知られ、この時代には城が築かれていた。
その後、美濃、尾張、伊勢の3ヶ国の守護職となった土岐頼康の居城となる。頼康は土岐氏の最盛期を築いたとされるが、家督を継いだ土岐康行は明徳元年(1390年)、足利義満の命を受けた京極高秀らの軍勢によって攻められ落城した。
小島城は粕川の北岸にある標高450mほどの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
北の山塊から北東に派生した尾根を堀切で遮断し、そこから南東に広がる山腹に無数の帯曲輪をひな壇状に配した大規模な山城である。
山頂部が主郭と思われるが丁寧に削平されておらず緩斜面になっている。そこから三段ほどの腰曲輪が広く主郭部となる。大規模な竪堀を南に落とし、北は急坂と側面移動を防止する竪堀を配して、扇型に残した山腹に無数の帯曲輪を配しており、帯曲輪の間を縫うように通路が付いている。
県道から分岐して上ヶ流集落に向かう道の途中に分岐があり、その終点に駐車場がある。そこから歩いていくと墓苑があり、そこから主郭まで山道が付いている。
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