元禄11年(1698年)江戸幕府によって代官所が設けられたのが始まりである。
元禄10年(1697年)津山藩森長成が没して改易となると天領となった。翌11年に津山藩に松平宣富が10万石で入封するが、天領として残ったところは坪井下村に置かれた代官所で管理することとなり、西与一左衛門が代官となった。
元禄15年(1702年)陸奥泉藩内藤政森は上野国安中藩へ転封となり、このとき久米北条郡を所領としたため、幕府の代官所を引き継いだという。
寛延2年(1749年)内藤政苗のとき三河国挙母藩へ転封となったが、美作領はそのまま維持され明治まで続いた。
坪井陣屋は現在の坪井公民館のあたりに築かれていた。
遺構はないが公民館前に石碑と案内板が設置されている。