築城年代は定かではない。 正平年間(1346年〜1370年)に宇都宮教定が在城していたと云われる。
天文元年(1532年)には出雲の尼子経久が美作に侵攻し、山名氏兼の守る神楽山城を落とした。永禄9年(1566年)尼子氏が安芸の毛利氏によって滅ぼされると、神楽尾城は毛利氏の支配下に入り大蔵甚兵衛尉尚清と千場三郎左衛門が置かれた。
天正7年(1579年)神楽尾城の毛利勢は宇喜多側の荒神山城を夜襲したが、荒神山城主花房職秀が事前にこれを察知して撃退し、その後、神楽尾城も攻め落とされたと云われる。
神楽尾城は津山市中心部の北東に聳える標高308.4mの神楽尾山山頂に築かれている。 現在は山頂一帯の草木が刈られ、360度パノラマ展望できる山として市民に親しまれている。
神楽尾城は山頂の主郭、南東の二ノ丸、南尾根の三ノ丸から成る山城で規模が大きい。 主郭は中央に土壇がある主郭を中心に西、南、北、北東の各尾根に腰曲輪を階段状に連ねる縄張りで、北側には連続竪堀も残るが、笹薮となっており見た目ほど遺構の確認は容易ではない。
南東下にある二ノ丸は独立性が高く、現在のハイキングコースが堀切(切通)を通っており、南北二郭になっている。北が一段小高く、南は土塁によって南北に区画されている。この二ノ丸と主郭の間の谷間が泥田堀だという。
主郭の南西尾根先にあるのが三ノ丸で、主郭の南下から広大な武者溜、馬場を経てその先端に位置する。三ノ丸と馬場の間は窪地であるが本来は大きな堀切であったのであろうか。三ノ丸も周囲に竪堀が付いている。
登山口はいくつかあるが、南東麓にある神楽尾公園からの登山道がよく整備されており、駐車場もあるのでお勧め。神楽公園から二ノ丸を経て本丸へ、帰路は本丸から三ノ丸を経て神楽尾公園へと周遊するルートがある。(神楽尾公園の地図)
最寄り駅(直線距離)