築城年代は定かではないが立石氏によって築かれたと云われる。
城主は立石氏で明応7年(1498年)立石景泰が城主のとき、三星城の後藤勝国に攻められたがこのときは撃退した。文亀2年(1502年)には後藤勝基に攻められ、このときには景泰の子、立石久朝が城主であったが、久朝は敗れて城は落城した。
美和山城は国指定史跡となっている美和山古墳群の一部、前方後円墳を利用した城であったという。西に方墳、東に円墳となる前方後円墳の東西両側にわずかに土塁が残っているだけで、古墳の上はそれほど広い地形ではない。もともとどのような城であったのかは現状ではよく分からない。
美和山古墳群の案内とともに城跡であったことも記されており、土塁の部分にも案内がなされている。
院庄icの東方にあり、国道179号線沿いに美和山古墳群の道標が出ている。駐車場は西側の道を少し北へ入った所にある。
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