築城年代は定かではない。 永正年間(1504年〜1521年)の城主は入谷(伊利谷)河内守長昌、天正年間(1573年〜1592年)は宇喜多秀家の家臣河端丹後であったと云われる。
篠山城は標高306mの笹山山頂に築かれている。 山頂付近は木々が伐採されて新しく植林されているのだが、特に整備されているわけではなく、道はないしイバラなどが群生し、よじ登るのも一苦労である。
主郭は山頂にあり「美作国の山城」に掲載されている縄張図によれば、周囲に土塁が巡り、南東側が内側に入り込む変わった形状を示しているのだが、現在これを確認するのは難しい。主郭は切り倒された木々で埋め尽くされ、木を踏み外すと片足がすっぽりはまる程で、地表面は全く見えない。南端部分でわずかに土塁が確認できた程度である。
主郭の西から北下の腰曲輪へ降りる通路は重機によって切り開かれ、腰曲輪から東側に回り込むと池がある。この池は縄張図で「月見ノ池」と記されており、今でも水で満たされている。
遺構が確認しやすいのは西と南側の山腹で、西側は腰曲輪がいくつかあるが、曲輪間に片側のみ竪堀を入れて削り残した部分を通路として残すのが特徴的である。南の尾根は堀切によって遮断しており、その先に南曲輪がある。
北麓の県道449号線沿いに佐良山周辺の地図があり、そこに佐良山城(篠山城)が記されている。
現在は登山道はなさそうで、縄張図に記されていた東の谷間の林道から登る道を選択したのだが、途中で消える。こちら側は特に山が荒れていて主郭近くになると伐採された木々が周辺に積み上げられ、遮断されてしまう。
もう一つ西の国道側から入る林道があるようで、こちら側からのほうが入りやすそうではある。
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