築城年代は定かではない。
天正年間(1573年〜1592年)頃には片山木工允、片山左馬助などが在城していたという。 片山氏は藤原秀郷の後裔という。慶長8年(1603年)森忠政が美作に入封となったとき、津山城が完成するまでの一時期この院庄城に逗留し、完成後に廃城となったという。
院庄構城は清眼寺の西側一帯に築かれていた。 現状畑となった一段小高い土壇があり、北西隅に石碑が建っている。この城は一部発掘調査されたようで、四方を巡る堀が検出されたようである。
清眼寺が目印。お寺から西の水田と宅地の方を見ると一段高い畑地があり、そこが構城跡。入口は南側の道路にあり、入口に「貞孝母子之碑」が建っている。
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