嵯峨山城を参照。
「おかやま全県統合型gis」では嵯峨山城の領域を山頂と北峰を含む一帯を示し、「美作国の山城」では山頂の南峰に城郭遺構があるとのことで訪れてみたのだが、結論から言えばどちらもはっきりとした城郭遺構は確認できなかった。
嵯峨山城で調べてみると「美作国の山城」に縄張図を掲載している山形氏が記述した嵯峨山城の縄張図が掲載されたサイトがあり、これに南峰の遺構が記されている。「美作国の山城」の縄張解説ではこれを見て説明したように、「嵯峨山からの稜線に三重の堀切を構える。」などと解説しているので、なんの疑いもなく北峰の嵯峨山城から山頂へ、そして南峰へと歩いてみた。
嵯峨山城から山頂へは細い道が付いているが、倒木などによって塞がれた部分が多い。なんとか北端部分に至っても密集した自然林で思うように進むことができず、歩きやすい所を探して登っていく。山頂の三角点付近からは植林された山へと変わって歩きやすくなる。この間まったく遺構らしきものはなく、自然地形の緩斜面がダラダラ続くのみであった。
山頂から南尾根は歩きやすくやがて南峰へとたどり着く。峰の部分が一段高く、さらに切岸のような地形があり曲輪かとおもったが削平されておらず、コブである。どうやら古墳のようで帰宅後に「おかやま全県統合型gis」で調べてみると該当箇所に「高塚古墳」があり、間違いなさそうである。
北尾根にあるとされる三重堀切の部分は広く浅く凹んだ地形はあるものの堀切といった感じではない。北東側へと回り込んでみると土塁があるのだが、これも遺構のようには見えない。この辺りで縄張図が変だなぁと思ってよくよく見てみると、「美作国の山城」に「州崎城」として掲載されている図面がそのままひっくり返した形で南峰に描かれているのに気がついた。南西の尾根に堀切がないことを確認して、この南峰の遺構の探索は打ち切り、行く予定でなかった州崎城の遺構を確認することにした。
嵯峨山城からも行くとこができるが、山頂と南峰を見る場合は西側からのほうが登りやすいだろう。こちらには山腹に林道があるようで、植林された山が広がる。
最寄り駅(直線距離)