築城年代は定かではないが松平家治によって築かれたと云われる。
松平家治は奥平信昌の二男で、長根七千石を領した。しかし文禄元年(1592年)わずか14歳にて早世し、家督は弟忠明が継いだ。松平忠明は関ヶ原合戦後に一万七千石に加増され 三河国亀山に転封となり、慶長15年(1610年)には伊勢国亀山へ五万石、さらに元和元年(1615年)大坂夏の陣で戦功を挙げ、十万石で大坂城代、元和5年には大和国郡山で十二万石の大名となった。
長根館は長根城の北西にある「城の内」と呼ばれる場所に築かれていた。遺構は明瞭ではなく、用水路が堀の名残だという。