上野 神保植松城こうずけ じんぼうえまつじょう
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築城年代は定かではないが神保氏によって築かれたと云われる。 神保氏は辛科神社の社人で、承久の乱(1221年)では神保友三・太郎・与一の名が残る。
永禄10年(1567年)神保昌光は小河原重清とともに西上野を支配した武田信玄に従っている。
城は大沢川に西岸にあり、川に沿った丘陵に築かれている。
現在は残念ながら関越自動車道の建設によって主郭付近が完全に破壊されている。 また、それ以外の部分も畑や民家の敷地となっており、現状ではあまり見る所がなさそうである。