文禄2年(1593年)に築かれた。築城は小早川隆景、上杉景勝、小西行長で行われた。
文禄の役での和平交渉がはじまると熊川倭城も廃城となった。
熊川倭城は標高184.5mの南山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂部に総石垣づくりの城があり、そこから北西、南、南東方向に登り石垣を設け、北東側山麓を取り込むように屋敷などが設けられていたようである。もともとは海に面した山であったが、現在は埋め立てられている。
山頂の主郭部は枡形を多様した虎口の連続で、主郭の南西角に天守台が設けられている。曲輪の側面は幅1mから2mほどの石塁になっている部分が多く、雁木も確認できる。
天守台から南へ伸びた登り石垣にも雁木があり、山腹で一度折れ、最下段の近くには櫓台がある。ここから山腹を東へ続く段が設けられており、南側面に石垣が点在している。
北西に伸びる登り石垣は登山道の途中で横切ることになる。ここから降ったところにも広い削平地があり、さらに降ると登り石垣から張り出した櫓台などがある。
登山口は北側の川沿いにあり案内板が出ている。登山口に駐車可能、トイレは鞍部に登った所に設置されているが、施錠されていた。
釜山地下鉄1号線 下端駅(ハダン/Hadan/하단역)からバス。熊川邑城は徒歩移動可能。