成宗21年(1490年)に朝鮮王朝が倭寇対策として築いた。
文禄の役では日本軍の攻撃によって落城したと伝えられ、背後の山には永登浦倭城が築かれた。日本軍撤退の後も利用されたが仁祖元年(1623年)に廃城となって他に移された。
旧永登城は巨済島(こじぇ)の北端の集落に築かれている。
集落のやや小高いところを中心として城壁を巡らせた朝鮮式の城であるが、中心となる民家の石垣が日本式の石垣であることから永登浦倭城の居館が置かれたのではないかと推測されている。
教会のあたりが旧永登城の中心で、すぐ南の道路が城門跡で案内板が設置されている。そこから少し南へ登るとコンクリートで固められた石垣の上に民家が立っているが、この石垣が日本式のものと考えられている。
外郭は周囲にひろがる小高い尾根部分で石垣や外側には堀も残っているようだが、未確認である。
釜山地下鉄1号線 下端駅(ハダン/Hadan/하단역)から巨済島(こじぇとう)に向かう2000番のバスが使える。このバスは下端駅から乗車するときに下車する場所(Gwanpo/관포)を運転手に伝える必要がある。
そこから島の北側を周回するバスに乗り換えると集落入口のバス停に至る。