文禄元年(1592年)に築かれた。
文禄の役で渡海した日本軍は釜山周辺の城を攻め落として釜山を占拠すると、毛利輝元、毛利秀元によって釜山倭城が築かれ、それ以降、朝鮮撤退まで日本軍の中心的な城として維持された。
釜山倭城は標高125mの山に築かれており、現在は甑山公園として整備されている。
釜山倭城は子城台倭城と一対の城で母城とも呼ばれている。かつては山頂の主郭部から登り石垣が南北に伸びていたが、開発によって失われている。また城の中心部の石垣も公園化にともなって改変を受けている。
主郭は展望台が立っているところで、かつては南西隅に一段小高く天守台があったが現在は削平されている。この主郭の周囲から北へ伸びた尾根沿いに石垣があり、東側山腹の幼稚園の脇に枡形の石垣がある。
石垣の周りを歩けるように遊歩道が設置されているので、比較的見学し易い。公園のなかで元からある石垣を探しながら歩くのが良いだろう。
公園内にトイレあり。
釜山地下鉄1号線 佐川駅が最寄り。鄭公壇の脇を登って行くとケーブルカーがあり、2基乗り継ぐと枡形門のところに至る。