文禄の役のときに築かれた。築城は吉川広家でそのまま守備した。
もともと朝鮮の東莱邑城があったが、文禄の役で小西行長が攻め落とし、隣接地に吉川広家が倭城を築いた。
日本軍が撤退したのちは再び東莱邑城が築かれ、このときに倭城の遺構も大きく損なわれたと考えられている。
東莱倭城は忠烈祠の裏山、東将台のある丘陵を中心に築かれていた。
多くの遺構はすでに失われており、城の中心部は東将台の敷地になっている。この部分は公園であるが、山火事防止のために冬期は立ち入りが禁止されており、今回は見学することかできなかった。
フェンス越しにある遊歩道から内部を観察することはできるが、平場が確認できる程度で石垣などは見えない。南側には堀切らしきもの、北へ伸びた城壁ライン沿いに石列、それに直交する大きな竪堀二条が確認できる程度である。
遺構はあまり確認できないのだが、釜山地下鉄4号線 寿安駅(スアン/Suan/수안역)の構内に東萊邑城壬辰倭乱歴史館があり東莱倭城や東莱邑城の展示がある。
登口は北側と東側にあり、東側は釜山地下鉄4号線 忠烈祠駅(ちゅうれつし/Chungnyeolsa /충렬사역)から近い。
冬期(11月1日から翌5月31日までは公園内立ち入り禁止、ただし柵越しに見学可能。開園は9:30-17:00まで。
釜山地下鉄4号線 寿安駅(スアン/Suan/수안역)に展示がある。