上総 大多喜城かずさ おおたきじょう

城郭放浪記


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上総 大多喜城の写真
掲載写真数
形態
山城
別 名
舞鶴城,大滝城,大田喜城
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀,井戸
城 主
本多忠勝,本多忠朝,本多政朝,阿部正次,青山忠俊,阿部正能,阿部正春,稲垣重富, 松平(大河内)正久,松平(大河内)正貞,松平(大河内)正温,松平(大河内)正升,松平(大河内)正路,松平(大河内)正敬,松平(大河内)正義,松平(大河内)正和,松平(大河内)正質
歴 史

天正18年(1590年)本多忠勝によって築城された。 徳川家康が関東に入部すると、家康は里見氏への押えとして本多忠勝を根古屋城に十万石で配置する。忠勝は根古屋城が防備に適さないとして、新たに大喜多城の築城を家康に願い出て許された。

・慶長6年(1601年)本多忠勝は伊勢国桑名に転封。
・慶長6年(1601年)忠勝の次男忠朝が五万石で残り、元和元年(1615年)大坂夏の陣で戦死。
・元和元年(1615年)甥の本多政朝が遺領を継ぎ、元和3年(1617年)播磨国龍野へ転封。
・元和3年(1617年)武蔵国鳩谷より阿部正次が三万石で入封、元和5年(1619年)相模国小田原へ転封。
・元和9年(1623年)武蔵国岩槻より青山忠俊が二万石で入封、寛永2年(1625年)改易となる。
・寛永15年(1638年)阿部正能が一万石で入封、寛文11年(1671年)正能は武蔵国忍の養子ととなる。
・寛文11年(1671年)武蔵国岩槻より阿部正春が一万六千石で入封、元禄15年(1702年)三河国刈谷へ転封。
・元禄15年(1702年)三河国刈谷より稲垣重富が二万五千石で入封、同年下野国烏山に転封。
・元禄16年(1703年)相模国玉縄より(大河内)松平正久が二万石で入封、以後明治に至る。

説 明

予報通りの雨、しかもかなり激しい。連休ではあるがこの大雨の中観光客が結構いてびっくり。

城は夷隅川の北にある台地に築かれ、現在模擬天守の建つ地が本丸、大多喜高校の所が二の丸御殿、高校のグラウンドが二の丸、大多喜小学校から役場辺りが三の丸であった。

大多喜高校に二の丸御殿の門が移築され、井戸跡も残っているらしい。

二の丸御殿の門の写真

二の丸御殿の門(移築 城門)


所在地: 大多喜高校(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
県指定有形文化財
天守の写真

天守(復興 天守)


所在地: 城内本丸

案 内
模擬天守内が千葉県立中央博物館 大多喜城分館となっています。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。

入場時間9時-4時30分まで
休館日月曜日 年末年始(12/26-1/4)
料金一般200円 中・高校100円
最寄り駅(直線距離)
0.4km 大多喜駅
1.4km 城見ヶ丘駅
2.2km 小谷松駅
3.1km 東総元駅
3.8km 上総中川駅
所在地/地図
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜字ニノ丸
付近の城(直線距離)
0.7km 上総 根古屋城
3.6km 上総 小土呂城ノ腰城
4.3km 上総 大野城
6.8km 上総 平蔵城
7.0km 上総 苅谷陣屋
7.1km 上総 吉沢城
7.3km 上総 城部田城
7.4km 上総 権現城
7.4km 上総 国府台城
8.0km 上総 万喜城
8.2km 上総 小田代城
9.5km 上総 大羽根城
9.6km 上総 城谷城
最終訪問日
2008年5月
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