寛永10年(1633年)頃に堀直之によって築かれた。
堀直之は越後国三条城主堀直政の五男で将軍秀忠に仕え、大坂夏の陣で道明寺口の合戦において薄田兼相を討ち取る戦功をあげるなどして五千五百石を賜り、寛永10年(1633年)上総国に四千石を加増され合わせて九千五百石の大身旗本となり、このとき苅谷陣屋が設けられた。
寛永19年(1642年)直之が没して直景が家督を継ぐと、父の遺領九千五百石と自身の所領二千石のうち五百石を合わせて一万石で大名となり上総苅谷藩を立藩、残る千五百石を弟直氏に分与して別家を建てさせた。
寛文8年(1688年)直景の隠居にともない直良が家督を継ぐと居所を苅谷から上総国市原郡八幡村へ移し上総八幡藩となる。これにともない苅谷陣屋は廃止となった。
その後、堀氏は元禄11年(1698年)三代直宥のときに所領を越後に移され、越後国椎谷となり明治まで続いている。
苅谷陣屋は国吉駅の南方に築かれていた。現在は一面田畑となっており遺構はない。