正徳5年(1715年)堀直央によって築かれた。元禄11年(1698年)に所領が移されたときの陣屋は唐蓑前に設けられたが、五代直央の時に現在の地へ移された。
椎谷藩堀氏の祖は越後国三条城主堀直政の五男堀直之で、大坂夏の陣で道明寺口の合戦において薄田兼相を討ち取る戦功をあげ、越後国刈羽郡内に五千五百石の所領を得たことに始まる。その子直景の時、上総国に四千石の新領と遺領五百石を合わせて一万石を領して諸侯に列し、上総国苅谷藩を立藩した。直景の子直良の代には上総国八幡へ陣屋を移し八幡藩を立藩、その子直宥の時に上総国の領地が越後国へ移され椎谷に陣屋が築かれ、以後明治まで続いている。
天明6年(1786年)飢饉による米価高騰に蔵米を競売し、天明義民事件と呼ばれる農民一揆が勃発し、寛政4年(1792年)藩主堀著朝が隠居と、所領五千石の半知替えの処分となった。このとき信濃国高井郡六川村に六川陣屋を築いて管轄した。
陣屋は海岸線に面した丘陵に築かれたおり、大手は南、搦手は北に設けられていた。 現在は陣屋跡に神社が祀られ、周囲には民家が建ち並んでいる。神社の背後に土塁が残っている。