築城年代は定かではない。
文治年間(1185年〜1190年)城義資の武将野呂一伯の居城と伝えられているが定かではない。戦国時代に赤田城の斎藤下野守の家臣として野呂一薄が史料に登場し、この人物が滝谷城主と考えられている。
滝谷城は勝山城と呼ばれており、現地では勝山城として公園整備されている。
公園整備されているのは主郭である標高102m付近のみで、東尾根に堀切が一条確認できる。日本城郭大系の図面によれば、北東へ伸びた峰にも城跡が続いているようだか未確認である。
東の県道から林道を進むと公園の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)