詳細不明。『二田郷土誌』に二田物部神社の神官によって築かれ、のちに上杉家臣元井玄蕃頭、須田大炊頭長義、梅津半左衛門らが居城、御館の乱で梅津半左衛門は景虎方となって敗れ討死したとあるのみで、詳しいことはわからない。
二田城は柏崎市(旧西川町)と長岡市との境にある標高295.8mの山に築かれており、現在は林道と遊歩道が設けられている。城の名称は旧西川町側が二田城、長岡市側は三島谷城である。もともと二田物部神社の神官によって築かれたとの伝承もあり、居館は西川町側にあったとも考えられているが、長岡市側にも根小屋、陣場、的場などの地名もあり、時期によって変わっていた可能性も指摘されている。
二田城の縄張は山頂の主郭から東と南に伸びた尾根に曲輪が展開しており、南端は物見山砦となっている。南北に続く尾根沿いに林道が通っているため遺構はその影響を受けているようだが、道路からでも堀切が見えている部分がある。遊歩道以外は草深くて全体を見学するのには時期を選ぶようで、今回は見学できていない。
南の県道から林道が続いている。物見山砦入口の辺りまでは広い道だが、それ遺構は両脇から草木が茂ったような道で車の両側を擦りながら走行する状態であった。山頂近くに道標があり、近くの余白に駐車できる。
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