築城年代は定かではない。
戦国時代に赤田を領していたのは斎藤下野守であったが、それ以前には赤田氏が居たことが知られている。赤田氏の後に斎藤氏が赤田を領しておりているが、その時期は不明である。しかし東福院は寛正2年(1461年)に斎藤下野守によって建立されており、少なくともこれ以前には斎藤氏が赤田を領していたこととなる。一般的に赤田古城を赤田氏、赤田城を斎藤氏の居城とするが詳らかではない。
斎藤氏は代々下野守を名乗っており、頼信、昌信、定信、朝信と続いており、上杉謙信に重臣として仕えた斎藤朝信が著名である。
赤田城は東福院の東背後に聳える標高164mの城山に築かれている。谷を挟んだ南には赤田古城があり、斎藤氏の居館はこの谷間ある専徳寺と推測されており、南の谷から大手道が続いている。現在は遊歩道が整備されており、主郭部は見学し易くなっている。
主郭は山頂にあり、そこから北西、西、東、北東、南と全ての方向の支尾根に対して曲輪を連ねた大きな山城である。山頂の主郭には「斎藤下野守朝信城趾」の碑が建ち、北西尾根先からは展望が開けている。
西尾根や北西尾根にも堀切があるが、一番の大堀切は東尾根にあり、鞍部を利用した巨大な堀切となっている。
斎藤朝信夫妻の墓がある東福院から登るのがわかりやすい。お寺の駐車場から遊歩道があり、南の西尾根から主郭を経て北の北西尾根へと周遊可能である。
最寄り駅(直線距離)