築城年代は定かではない。伊北庄を支配していた上総狩野氏の居城と伝えられている。
発掘調査の遺物から14世紀後半から16世紀後半まで使われていたと考えられ、この場合、戦国時代は正木氏と土岐氏の勢力圏の境目であり、境目の城として利用されていたと推測されている。
大野城は夷隅川と大野川の合流地点の西側にある標高40mほどの台地に築かれており、主郭には八幡神社が祀られている。
台地の上がかなり広く中央の堀を中心に主郭部と外郭とに分かれていたようである。主郭側は切岸などが確認できる。北と南西に堀切があるようだが見るのを忘れていた。どうやら堀切は曲輪からではなく道路からアクセスするようだ。
南西の道路沿いに狩野正信誕生之地の碑があり、ここに案内板が設置されている。
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