相模 小田原城さがみ おだわらじょう

城郭放浪記


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相模 小田原城の写真
掲載写真数
形態
平山城(35m/30m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,土塁,曲輪,堀切,横堀,虎口
城 主
小早川氏,大森氏,北条氏,大久保氏,阿部氏,稲葉氏,大久保氏
歴 史

築城年代は定かではないが鎌倉時代初期に土肥遠平が小早川氏を称して築いた館が始まりと云われる。

応永24年(1417年)大森頼春が上杉禅秀の乱での功によって小田原を与えられ本格的に築城する。 明応4年(1495年)伊豆一国を手中に治めた伊勢宗瑞は鹿狩りと偽り箱根に兵を進め突如小田原城を襲い乗っ取った。

北条氏が小田原城を居城とするのは2代氏綱からで、総構えと呼ばれる外郭を整備したのは天正15年(1587年)頃とされる。関東一円に勢力を伸ばした小田原北条氏は6代氏直のとき、 天正18年(1590年)豊臣秀吉によって総勢21万にも及ぶ大軍に囲まれ篭城するも開城し滅んだ。氏政は切腹、氏直は高野山に配流となりそこで没した。北条氏の名跡は北条氏規の末裔が相続し、河内国狭山藩として明治まで続いている。

天正18年(1590年)徳川家康の関東移封にともない大久保忠世が城主となる。 が忠隣のとき改易され阿部正勝、稲葉正勝が入城する。 貞永9年(1632年)大久保忠朝が復帰し以後明治まで至る。

説 明

小田原城は小田原駅の南にある小田原城址公園として整備されている。

現在本丸にはコンクリートで復興された天守があり、常盤木門や銅門、馬出門などが復元されている。

石垣も至る所に築かれているが、大正12年関東大震災によって石垣はほとんど崩落し、現存していた二の丸平櫓も倒壊している。現在の石垣はその後に積み直されたもので往年とは異なっている。

公園外の遺構としては、三の丸小学校の西側に箱根口門の石垣や土塁、お堀端通りを北上して小田原郵便局北側の道路と交差する手前に幸田口門跡があり、脇に土塁が残る。

銅門の写真

銅門(復元 櫓門)


所在地: 城内二の丸
明治5年(1872年)破却、平成9年(1997年)再建

天守の写真

天守(復興 天守)


所在地: 城内本丸
三重四階 層塔型
昭和35年(1960年)再建

常盤木門の写真

常盤木門(復興 櫓門)


所在地: 城内本丸
江戸初期
元禄16年(1703年)地震で崩壊、宝永3年(1706年)桝形門として再建
明治3年(1870年)破却、昭和46年(1971年)再建

二の丸隅櫓の写真

二の丸隅櫓(復興 櫓)


所在地: 城内二の丸
大正12年(1923年)関東大震災により崩壊、昭和9年(1934年)再建
江戸時代のものより一回り小振り

案 内
最寄り駅(直線距離)
0.6km 小田原駅
0.6km 小田原駅
0.7km 小田原駅
1.0km 箱根板橋駅
1.0km 緑町駅
所在地/地図
神奈川県小田原市城内
付近の城(直線距離)
1.4km 相模 荻窪仕寄
1.7km 相模 町田の某囲郭
1.7km 相模 板橋富士山陣場(細川忠興)
1.7km 相模 町田B陣場(奥平信昌)
1.8km 相模 願成寺囲郭
1.8km 相模 町田A陣場(酒井忠次)
1.8km 相模 朝ヶ坂陣場(蒲生氏郷)
1.9km 相模 佐野天守(宇喜多秀家仕寄陣)
2.0km 相模 上台陣場(推定・羽柴秀勝)
2.0km 相模 山王原陣場(榊原康政)
2.1km 相模 今井陣場(徳川家康)
2.2km 相模 網一色陣場(大久保忠世)
2.2km 相模 天子台(羽柴秀次)
2.3km 相模 九塚陣場(織田信包)
2.4km 相模 多古陣場(北畠信雄)
2.5km 相模 水之尾天守(宇喜多秀家)
2.7km 相模 北条幻庵居館
3.0km 相模 石垣山城
4.7km 相模 畑ノ平囲郭
5.0km 相模 沼田城
5.1km 相模 下堀城(小田原市)
5.2km 相模 塔の峯城
5.7km 相模 湯坂城
5.9km 相模 根府川城
最終訪問日
2023年1月
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