天正18年(1590年)豊臣秀吉によって築かれた。
天正18年(1590年)秀吉は小田原北条氏の討伐を開始し、伊豆国山中城などを抜いて早雲寺に本陣を構えた。秀吉は石垣山へ登って検分を済ませると築城を開始した。突貫工事で築城が行われ、完成すると小田原城側の樹木を伐採して、さも一夜にして城が築かれたように見せ、北条方の度肝を抜いた。これが一夜城と呼ばれる由縁である。
北条氏は一夜城が完成すると間もなく降伏し、北条氏政・氏照らは切腹、北条氏直・氏規らは高野山へと送られた。
石垣山城は小田原城の南方にある石垣山山頂に築かれている。小田原城とは早川で隔てた位置にあり眼下におさめることができる。
石垣山城は南端の最高所に本丸、北東下に二の丸(厩曲輪)、井戸曲輪、南東下に南曲輪、南西下に西曲輪を配し、西曲輪の南には堀切があり、その先に古城と呼ばれる出丸がある。
本丸は南西端に天守台、北と東に虎口を開く。二ノ丸の北端には櫓台状の高まりが残り、その先にある井戸曲輪は巨大な石垣囲みの空間の底に井戸が残る。城郭はほぼ全体が石垣造りで、崩落しかかった巨大な石垣群が残されている。
国道135号線早川交差点から西へ曲がり、その先の早川小学校入り口交差点から石垣山城に向かって車道が付いている。そのまま登っていくと城の南下にある駐車場に至る。
最寄り駅(直線距離)