築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に小田原北条氏によって築かれたと云われる。
その後、豊臣秀吉による小田原征伐軍を迎え撃つ為に急ピッチで城の改修が行われる。天正18年(1590年)3月29日北条氏勝を主将とする山中城に、豊臣軍が押し寄せ美濃国軽海西城主一柳直末が討死するなど激戦となったが、圧倒的な兵力によって次々と新手を繰り出し袋崎砦が陥落、それを足掛かりに三の丸、二の丸も陥落し、北条氏勝は城を脱して松田康長が最後まで抵抗したが討死した。落城まで僅か数時間であったという。
山中城は支城である岱崎砦とともに箱根街道を挟むように築かれている。現在は国指定史跡として公園整備されている。
東端最高所にある本丸から西へ二の丸(北条丸)、元西櫓、西の丸、西櫓と曲輪が連なり、本丸の北に北の丸、南西に三の丸があった。
山中城の特徴はなんと言っても空堀の底に仕切土塁を設けた畝堀(障子堀とも)で、きれいに復元整備されている。最西端にある西櫓は馬出しで、西の丸と外側の帯曲輪に木橋が架かっていた。
本丸と北の丸の間、そして北の丸の外側には巨大な空堀があり、こちらには畝が存在していないが圧巻の規模を誇る。
三の丸にある宗閑寺には豊臣方の一柳直末や北条方の松田右衛門大夫、間宮豊前守康俊兄弟の墓などか残っている。
国道一号線沿いにあり、駐車場やトイレも完備されている。
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