平安時代末期に土肥氏の城と伝えられる。
現在の遺構は戦国時代に小田原北条氏によるものと推測されている。
土肥城は湯河原駅の北西背後に聳える標高563mの城山山頂に築かれている。現在はハイキングコースとして整備されている。
主郭は山頂にあり、そこから東、北、南の三方に曲輪を配している。主郭は平坦で中央に「土肥城趾」の石碑が建つ。この石碑の題字は男爵小早川四郎とあり、明治になって毛利元徳の三男三郎が小早川家を再興し、さらに家督を継いだ四郎のことである。
主郭の北尾根はほぼ自然地形で少し降りた場所に平坦になった曲輪が一段ある。南尾根もほぼ自然地形であるが、巨石が散らばるなか削平地があり、途中切岸になっている部分もある。
城の中心は主郭から東へ伸びた尾根で、数段の段曲輪が続き、途中には二重堀切や堀切、竪堀を設けて通路を狭めたような遺構を見ることができる。大きな堀切の先は自然地形となって東屋などが建っているが、この先に横矢を掛けた堀切と土塁遺構がある。この分は南が東へ張り出し、空堀もそれに従ってl字になっている。
湯河原駅から土肥氏の菩提寺である城願寺の脇を抜けて城山へ登って行くハイキングコースがあるが、道は舗装された林道で普通車で山頂近くまで行くことができる。山頂近くに駐車場とトイレがある。
山頂の西側には県道が走っているが、こちら側には駐車場はない。
最寄り駅(直線距離)