詳細不明。甲斐武田氏の家臣志村佐善が武田氏滅亡後にここに居を構えたと云われる。
下堀城は南北約130m、東西約105mの規模の平城で現在の地図で見ても水路が南北におお長い長方形で巡っているのがよく分かる。この水路が堀で内側はやや高く一部土塁が残っている。発掘調査で北側の県道の部分から堀が検出され、二重堀であったことが確認されている。また、堀底からは中世の陶磁器などが見つかり、中でも花菱の掃部が施されたものが出土し、志村氏と武田氏の関係を伺わせるものである。
城の南東、満福密寺の北側に下堀公民館があり、ここに案内板が設置されている。また駐車も可能である。
下堀公民館に案内板があり駐車可能。
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