築城年代は定かではない。 岩崎館は武田信光の子信隆を祖とする岩崎氏の館と見られているが定かではない。
岩崎氏は八代にわたり御旗・楯無鎧を相伝しており、岩崎直信のとき武田信重に伝えられた。 このように岩崎氏は甲斐国守護武田氏と並ぶ勢力を保持していたようだが、長禄元年(1457年)と同2年の武田信昌と跡部景家による戦いで、一族が壊滅的な打撃を受けて衰退したという。
岩崎館は日川南岸の河岸段丘の北端に築かれていた。 現在は国道20号線勝沼バイパスの工事により、南辺の一部が消滅し、残る北側の部分もブドウ畑となっており、どの程度遺構が確認できるのかは定かではないが、国道の側道に面して案内板が設置されている。
祝小学校西側の道を南下して国道バイパスを目指す。国道に出る信号の手前に東へ行く側道があり、ここに案内板が立っている。
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