逐次幼年代は定かでは内が於曾氏によって築かれたと云われる。 於曾氏は古代の豪族三枝氏の支族であったが、応保2年(1162年)の八代荘を巡る争いで没落し、その後は加賀美遠光の四男と五男が於曾に入って加賀美氏系の於曾氏が出てくる。
於曾氏は武田信玄の時代には於曾左京亮信安が一族の板垣氏の名跡を継いでいる。
於曾屋敷は塩山駅の南方にあり、現在東半分が於曾公園となっている。土塁と堀が巡る方形の屋敷跡であるが、もともとは土塁と堀が二重に巡っていたようである。
南側に公園の無料駐車場がある。
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