天保2年(1831年)清水徳川家によって築かれたと云われる。 九代将軍徳川家重の子重好から始まる清水徳川家は最初下岩下に陣屋を構えたが、重好が嗣子なく没して収公された。しかし、文政13年(1830年)に再び甲斐に清水領が設置され、翌天保2年(1831年)にこの地に陣屋が築かれた。この陣屋は安政3年(1856年)まで続いたという。
清水陣屋は神宮寺の北、八幡保育園との間にある「城の腰(デウノコシ)」と呼ばれる区画に築かれていたという。南側に案内板があり、それによれば、低い石垣と道路との間にある土の部分が堀跡の名残らしい。