築城年代は定かではない。古くは平安時代末期頃に安田義定が居館を構えていたと云われ、弘安年間(1278年〜1288年)には二階堂氏、天文年間(1532年〜1555年)には大村氏が城を構えていたと云われる。
現在の遺構は天正17年(1589年)に徳川家康が命じて築いた城で、家臣の内藤三左衛門信成が守将となっていた。天正18年(1590年)豊臣秀吉により小田原征伐で、内藤信成は韮山城主となっている。
浄古寺城は笛吹川と鼓川が合流する地点の北の高台に築かれている。
主郭は最高所の南端で北から西に掛けて高土塁があり、その一角に櫓台がある。この土塁の外側に規模の大きな空堀が残っている。北の尾根はそのまま堀切で遮断していたようで、現在は道路になっている。
主郭の南は高い切岸で、南には果樹園があり、かつて空堀であったのが辛うじて浅い窪地として残されている。
笛川小学校から西へあがっていったところに八幡神社があり、この境内に駐車できる。ここに案内板も設置されている。
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