築城年代は定かではない。文明19年(1487年)武田信昌が広厳院に対して発行した寺領寄進状に「南は城山之峰」とあり、これが旭山の烽火台の初見とされる。
旭山の烽火台は標高842mの旭山山頂、三角点のある標高809.4mの峰、標高625mの蚕影山、そして北へ伸びた尾根の先端の標高735m付近と四ヶ所に城郭遺構が点在する。
中心となる遺構は標高809.5mの三角点のある所で、東西にやや長い楕円形の曲輪を一段下がって帯曲輪が取り巻く。南に虎口らしき凹みがあり、東と西の両尾根に堀切を設けている。東側側面にはわずかに石積が確認できる。
最高所にあたる標高842mの峰は山頂部が削平され、そこから東へ伸びた尾根に二条の堀切、さらに少し東へ登った所にも堀切が一条残る。
北西尾根から続く登山道が最初に到達するのが、標高625mの蚕影山である。この部分は特に堀切などはないが、削平地があり蚕影山の碑がある。
最後に途中から北へ伸びた尾根にも遺構があるらしく、そちら側に降りて行ったが、尾根を東西に分割するようにネットが張られており、十分な遺構の観察ができず、緩斜面地形は確認できるものの、竪堀遺構は確認できなかった。
登山道入口は北西の尾根先にある一宮町にある(地図)。ただし近くに駐車場はない。
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